スペイン旅行記 15日目。 シャボン玉 親子
4月15日
今日も当然のようにシウタデヤ公園に居る。
生意気にも左手に教科書、右手にペンという格好を取り、深々とベンチに腰を下ろしている私だ。
そして、いつものように、スペイン語の勉強とはかけ離れたところに思考が及んでいた。
シャボン玉が自動で作れるものが欲しい。
擬似的でも良い。
プログラミングで映像とか見せたい。
珍しく、仕事のことを考えていた。
おそらく、今進めているプロジェクトの構想はここから来ている。
しかしなぜ、こんな風に思ったのか、というと確かこうだったはずである。
この日は、いつものようにシウタデヤ公園の中にはいり、ベンチに腰掛ける、ことはせず、
凱旋門からシウタデヤ公園までに続く道(ここも公園といえば公園か?)のベンチを利用したのである。
たまには景色を変えないとな、なんてクールに構えていこうと考えた訳だ。
私は当然のように中央のベンチよりも端っこのベンチを選び、植樹の影に包まれながら、教科書を読んでいた。
そんなとき、私の目の前を、一組の家族が楽しげに通り過ぎていった。
父とその子供2人というパーティである。
父は手になにやらバケツに似たものを持っており、そのバケツに似たものの中から棒のようなものが飛び出していた。
広いスペースを見つけた親子は、そこで立ち止まり、そして父親はバケツの中の棒をかしゃかしゃと動かしていた。
数秒動かした後、棒をバケツから抜き取ると、腕を極限まで高く伸ばし、右から左へとスムーズに動かす。
すると、一体どういう訳なのか、動かした棒の後を追って、丸いきらきらと光る玉が現れた。
それもかなりの大きさだ。
子供たちはその光る玉が出現すると、突然騒ぎだし、脚を全力で動かして、地面を叩いている。
彼らの表情は見て取れなかったが、おそらく、歓喜に満ちていたことであろうことは、聞こえてくる声色からわかった。
父親はそれを見て、また棒をバケツに突っ込み、かしゃかしゃとかき混ぜる。
棒がバケツから抜き取られると、子供たちはもうその時点で、すごくはしゃいだ。
何回かそれを繰り返して、思い切り楽しんだ親子は、今度はシウタデヤ公園に向かって歩き始めた。
子供たちのはしゃぎようは見ているこちらも一緒に楽しくさせるものだったが、父親は途中から少し、表情を曇らせていたのを私は見ていた。
おそらく疲れが出始めたのだ。
そして公園に行こうと、子供たちを次のステージに導いたのも、その間に体力の回復を図るためだろうと私はにらんでいる。
子供たちの感覚とそれを越えてしまった人間の感覚がこうも違うとは、と、空想と現実を一度に見れた私はなんだか複雑な気持ちだった。
そんな感情だったからか、仕事の構想が生まれたのだと思う。
プログラミングは難しいが、それでまたあの笑顔が見れるのなら、こんなに良いことはない。
ただ、今はまだ空想へは行けず、現実に漬かっている状態ではある。